私の本をいつも作って下さっている、扶桑社の編集者である池田さんは、2匹の保護猫ちゃんのお母さんです。
天ちゃんと虹ちゃんという名のその猫ちゃんたちは、まだ目も開かない生まれて間もない頃、残飯やゴミが入ったスーパーのレジ袋の中に入れられて捨てられていました。
過酷な状況の中、生きたいと必死で鳴き続けた天虹ちゃんは、消え入りそうなか細い声に気付いてくれた人に保護され、命を繋いで池田さんの元へやって来ました。
そんな、保護猫ちゃんへの愛に溢れた池田さんがこの度
『「たにゃ」と僕』
という、歌舞伎町で暮らす1人の男性のエッセイを手掛けられました。

もう人生を終わらせたい、終わりにしよう、と思いながら生きていたその男性が、ある日歌舞伎町で暮らす野良猫と出会い、ボロボロに汚れたその猫に自分を重ねます。
ボロボロの猫にご飯をあげるようになった男性は
「明日もあいつにご飯あげないとだから、明日も生きよう」
猫によって生きる理由を見付けた男性と、どんなに辛い状況でも1人で必死に生きてきたその猫「たにゃ」は、少しずつ少しずつ心を通わせ、いつしか男性にとって「たにゃ」が生活の一部となっていました。
2人が出会って1年が過ぎた頃、とある事情で男性は「たにゃ」を保護することを決意します。
けれど、警戒心が強い野良猫を保護することは簡単なことではありませんでした。

うだるような酷暑の夏も、凍えるような冬も、この廃墟のような陽の当たらない場所の片隅で隠れるように生きて来た「たにゃ」。
きっと、虫がわくようなごみ箱のご飯を食べ、泥水を飲み、それでも1人で必死に生きて来たのでしょう。
たとえどんな環境であっても、そうやって生きて来た野良猫の「たにゃ」にとって保護することが本当に幸せなのだろうか。
自由でいたいのではないだろうか。
そんな葛藤の中、何度も失敗しながらも、出会ってから2年の月日を費やしてようやく保護することが出来たのです。
今では「たにゃパパ」と一緒に、穏やかで幸せな日々を過ごしている「たにゃ」。

ゆっくり、ゆっくり、ご飯をねだることを覚え、暖かいベッドで眠る幸せを知り、甘えてもいいんだということを教えてもらった「たにゃ」は、外では決してこんな穏やかな顔で寝たことなど生まれてから一度もなかったと思います。
今でも雨が降ると咄嗟に隠れるたにゃに、
「大丈夫だよ、もう濡れないよ」
と教えてあげるたにゃパパ。
たにゃにとって生きるためでしかなかった「食べる」という行為が、たにゃパパと出会ったことで「美味しい」という事を知り、初めて嫌いなものを食べ残したことを「嬉しかった」というたにゃパパ。
先に言っておくと、この本は涙なくしては読めません。
私はもう帯を読んだだけで涙腺崩壊していましたがww
辛くて辛くて、けれど知らなければならない。
これが現実なんだと心に刻みながら。
「僕は君に会うために生きて、君は僕に会うために生きて」
救われたのは、猫なのか。人間なのか。
気になる方はぜひ手に取ってみて下さい。
生きることの辛さと尊さ、必要とされることの喜び。
明日も頑張ってみよう、と生きる力をくれる1冊だと思います。
今もこの酷暑の中、どこかで必死で生きている猫がいます。
どうか、どうか外で暮らす猫ちゃんやワンちゃんが1匹でも多く救われますようにと願って。
なお、この本の印税は保護活動に使われるとのことです。
うちの保護猫ちゃんたち。
彼らもきっと、私たちが想像もつかないような状況の中で生きていてくれました。
保護して下さった方には感謝しかありません。


生きていてくれてありがとう。
出会ってくれてありがとう。

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